特集

路向うのアメリカ
#7 相模原医療センターの怪

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旧日本陸軍による軍都建設で誕生した相模原。
第二次大戦後、軍事関連施設は米軍基地として利用され、戦争特需をもたらす一方、市民生活やまちづくりに大きな影響を及ぼした。
戦後の復興期に米軍基地のそばで育った著者が見つめていた「路向うのアメリカ」。その記憶を一家のアルバム写真とともにたどる連載コラム。

#7 相模原医療センターの怪

1970年。日本初の万国博覧会「エキスポ70」が大阪で開催され、社会全体が活気に満ち、盛り上がっていた時代。たった一本の市道を隔てた路向こうの「米軍相模原医療センター」では、ベトナム戦線で負傷した米兵が毎日、毎日ヘリや救急車で送られてきていました。

のべ19.7ヘクタール(ha)にも及ぶ「米軍相模原医療センター」(現、伊勢丹相模原、ロビーシティ、救急医療センター、相模大野中央公園、外務省研修所など一帯)は、もともと、1940年に旧日本陸軍「相模原陸軍病院(分院)」として建設され、戦後そのまま米軍に接収されて1981年4月に返還されるまでの約37年間にわたり存在した米陸軍医療基地です。医療センターの施設建物は1981年に返還されるも、その後9年ほど、無人の廃墟としてその姿を残していました。そのため、広大な敷地に点在する建物の数々の窓ガラスは割れ、雑草が生い茂り、建物にはツタが這う様子はまさに「米兵の霊がさまよう」心霊スポットとしての条件は全て完璧に満たしているわけで、幾多の都市伝説が産まれたりもしました。

これらに関して私が耳にした話は……

①真夜中、廃墟化した病院の廊下に人影が歩いている……

②夜霧が出ると、病院北側敷地の木立と芝生のエリアに白い人影が出る……

③真夜中に、どこからともなくラッパの音が聞こえてくる。廃墟の敷地内をジープが走っている。または姿は見えないのにクルマの走る音だけが聞こえる……

④廃墟の建物内のドアや窓や柱のそこらじゅうに「お札」が貼ってあったとかなかったとか……

いかにもといった都市伝説が数多く生まれ、子どもや学生たちにとっては格好の題材となり、尾ひれがつき膨らんだ話題で盛り上がったりしたものです。しかし、いずれの話も実際に体験したという人に1人も出会わなかったのも最大のミステリーではありますが……。

そんな都市伝説の宝庫の米軍医療センター敷地内には当時、病棟のほか、さまざまな施設が点在していました。テニスコート、ファイヤーステーション(消防署)、MP(軍警察)交番、劇場(ダンスホールだったかも?)、ボーリング場、映画館(講堂だったかも?)、クラブハウス、ヘリポートのほか、小さい神社もあったと記憶しています。

当時の施設の所在位置関係とレイアウトはどんなだったかと記憶を辿ると……

相模大野駅前バス通りを女子大通り方向に進むと、行幸通りと女子大通りの入り口に交差点があります。そこから米軍施設で、女子大通りを西に、女子大方向に進むと左側は商店がちらほら。右側の「ロビーファイブ」一帯は女子大の交差点までがずっと米軍病院の塀で (子どものころは低い石垣と盛土に垣根と金網有刺鉄線で中が見えましたが、後にコンクリート塀になりました。反対に、門扉は最初は木製で中が見えませんでしたが、後に金網のゲートになり、入り口付近以外は中の様子が見えにくくなりました) 、正門が今のロビーファイブの地下駐車場入り口付近にあり、西門が少し先の業務スーパーの付近にありました。

正門から入るとゲートは広く、ど真ん中に警備兵のボックスがあり、奥に星条旗と日の丸が目に入ります。その先には階段と大きな木の扉が目立つ、戦前の校舎をライトグリーンに塗った、いかにもアメリカンチックな色合いと瓦屋根、木造二階建の長屋のような「デカイ」建物が、本館。同じような建物が左手と本館右手奥に何棟か見え、本館の裏手(現外務省研修所付近)にグランドとテニスコートがあり、横に食堂棟と体育館もしくは講堂があったように思います。周囲は広々とした芝生に丸や円錐にキチッと刈られた植木で囲まれています。沿道はサクラの並木と広い歩道が続く中、高い松の木もたくさんありました。

印象的だったのが、広めの道路と整備された歩道に芝生。そして、当たり前だが標識を含め全てが英語表記であるほか、いたるところにある西洋キノコのような形をした消火栓。確か、本体が黄色でヘッド部分が赤だったが、昔のアメリカンコミック(ポパイやスーパーマンやバットマン)に出てくるような派手な自己主張の強いデザインの消火栓と、バットマンカーみたいにトランク部分に羽がついたような馬鹿でかいデザインの「ザ・アメ車」。子ども心にもカッコイイとうつった米軍の救急車と消防車、消防署は今の伊勢丹と中央公園付近にあったと記憶しています。

相模大野高校付近にヘリポートがあり、公営住宅付近から中央公園のあたりにかけて病棟が連なり、市営駐車場のあたりに倉庫群が、市営駐輪場の信号付近までが米軍施設の東端という感じでした。余談ですが、現在、市営駐車場のバス乗り場と行幸通りとの交差点が相模大野駅に向かうバス通りになっていますが、当時は深川という川が流れており現在のコリドーが駅に向かうバス通りでした。

当時は、年に何度か、記憶では春の花見に正面ゲート付近の一部解放と秋ごろ、感謝祭か何かの日に大きなイベントで一般開放する日があり、近所中の子どもたちはこぞって出かけたものです。

施設中央付近にあった芝生の大広場では、いろいろなイベントが催され、ピエロが風船を配り、脚長おじさんがスケジュール表を配り、構内をチンチン列車が走り回り、ジュース、コーラの飲み放題、アイスキャンディーやポップコーンのフリーサービス。本場のホットドッグやハンバーガー、アップルパイにピザパン、ケチャップとマスタードたっぷりのフライドポテトなど、今でこそ珍しくもない「ザ・アメリカン・ファストフード」。当時は物珍しさで長い行列ができたりしていました。特設ステージでは演劇やコンサートが開かれ、まさにアメリカン・カーニバルそのものといった雰囲気で、米兵の家族も親子で楽しんでいました。

しかし、そんなイベントもベトナム戦争が激化すると共に、自然に消滅していきました。当時、日本国内の米軍基地には毎日のように、戦地から傷病兵が移送され、国内の米軍医療施設である程度回復するとアメリカ本土の病院に輸送されたりしていた模様ですが、米軍相模原医療センターへは横田基地や立川基地から空路、重篤な兵士が運ばれていたようです。中学生だった自分は授業中、教室から路向こうの米軍病院へ飛来するヘリを窓越しに眺めていました。

オリーブグリーンの機体とハッチに大きな白十字の付いたベル・エアクラフト社製のイロコイスUH-1が日に何度か飛来するわけですが、その操縦が神業的に凄かったのを覚えてます。横田飛行場方面から国道16号線上空付近を飛んでくるのですが、大野高校の裏手(相模大野2丁目一帯)は当時も住宅密集地で、下から見上げると民家の屋根スレスレに見えるぐらいの高度で飛来したヘリは、ヘリポート手前に背の高い松の木の植林帯があるため、(今も松の木は校舎北側の残っています)機体はその松の木を左右にかわしながら降下し、高度数メートルになると落ち葉や土埃が一斉に舞い上がり、地上で待機している無線のヘッドセットが付いた白いへルメットを被った着陸誘導兵が両手でサインを出しながら誘導すると、ヘリは芝生に直径20メートルほどの丸いコンクリートの中心に黄色のバッテン印が付いた小さなヘリポートに着陸するわけです。よく映画などで目にする空母の甲板上での離発着シーンそのままでありました。

着陸するとエンジン停止はおろか、プロペラが回りっぱなしの状態で機体側面のハッチが開き、赤十字マークのついたオリーブグリーンのヘルメットの救護兵二人が担架ごと屈みながら足早に機体に駆け寄り、傷病兵を受け取り、横に待機していた陸軍の救急車に素早く乗せる。それと同時に、ホバーリング中だったイロコイスUH-1が、着陸時と同様に土埃と落ち葉を舞い上げながら離陸開始。その間僅か数分……。

飛び立つ際は「バラバラバラ……バッバッバッ……パンパンパン……」といった大きなプロペラ音とともに、松の木に囲まれた小さなヘリポートから離陸したかと思うと、次の瞬間、機体は左右に大きく進路を変えながら松の木の間を縫うように飛び去るのです。イロコイスUH-1が無事飛び去るのを確認すると、ヘリポート脇で待機していた消防車と共に移動着陸誘導車(長い無線アンテナが付いたジープ)も消え去りました。

そんな光景が日常の時代でしたが、ヘリによるピストン輸送もベトナム戦争が後半に近づくにつれ、その頻度も段々と多くなっていたように記憶しています。当時、多くの兵士が亡くなられたようです。半旗が掲げられ、星条旗の掛けられた棺が並べられ、ラッパの音と共に整列した兵士が一様に敬礼している光景を目にすることがありました。ベトナム戦争も後半に近づくにつれ、「半旗」を見かける機会が多くなったようにも記憶しています。

続く……。

【プロフィール】
鈴木 聡 (すずき さとし)
アソビニスト、フリーライター
1957年生れ、相模原市在住。
幼少期より相模原で育つ・・・日本大学芸術学部映画学科中退。
映画・音楽・クルマ・アウトドアが大好きであり、学生時代より映画・番組製作会社・TV局のアシスタントとして現場を経験するも就職出来ず、音楽出版社を経て自動車メーカーに就職する。マーケティング、特装車、コンサル技術営業、モーターショウ、各種プロジェクトと長年自動車業界で仕事するが2017年定年退職。サラリーマンをする傍ら、大好きなアウトドア、クルマの世界に興じ各種の「遊び」をテーマにしたイベントを企画する。アウトドア・アナリスト&アドバイザー、イベントコーディネーター、コラムニスト。
遊びの様に仕事をし、仕事の様に遊ぶ・・・。
座右の銘:「貧乏暇なし生涯短し人生沢山笑うが勝ち・・!!」

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