町田在住のライター&編集者の多田洋一さんが、「町田のちょっと懐かしい」を訪れ、今はなき店や出来事に思いをはせる、ゆるノスタルジー系連載。
こんにちは、多田洋一です。本に関わる仕事をしていて、町田市在住。さて、前回までしばらくY.M.O.の話をしていましたが、♯034でちょっと触れた忌野清志郎のことは、スルーできないなぁ。これまで取り上げたミュージシャンはみなさん現役でレジェンド化しつつありまして...もしキヨシローが存命だったらどんな歌をつくってただろう? 私が最初に知ったのは、中学1~2年のころにAMラジオの深夜放送から流れてきたRCサクセションの「ぼくの好きな先生」で、ほぼリアルタイムでは、どう反応していいのかもわからなかった。コミックソング? おもしろいような、でも悪ふざけしてるようにも思えて。同じころ、テレビのオーディション番組から出てきた山口百恵がエッチな歌で人気急上昇。いやあ、そのころはまさか後年、RCの初期準メンバー(三浦友和)と結婚して引退するとは思わなかった。そもそも、真面目な青春スターみたいだった三浦友和が、キヨシローとともだちだってことすら、当時は知るよしもなく。それで、私がRCを再認識したのは、その山口百恵の引退が囁かれ始めた1970年代の終わりごろなのですが(続く)...。
写真は町田市野津田町の、神奈中バスだと「川島入口」あたり。ぱっと見でも「バス通りにしては狭い~」な印象で、鶴見川に沿ったこの道、むかしっから多摩川を越えて喜多見~狛江のあたりまでずっと混むこと多し(その先も混んでる、三軒茶屋まで)。でっ、私はいま「この道」と書きましたが、グーグルのマップだと「芝溝街道」だったり「鎌倉街道」だったり...「鶴川街道」とか「津久井道(つくいみち)」とかって呼ぶ人もいません? ウィキぺディアだと、正確には金井交差点から西は「神奈川県道・東京都道57号相模原大蔵町線」で東は「東京都道・神奈川県道3号世田谷町田線」という幹線道路(旧道のままではない)のよう。それで「なるほど!」と思ったのですが、私(および家族まわりの人)は、この道をむかしから「世田谷通り(セタドウ)」と呼んでた記憶があるんですよね。親戚が向ヶ丘遊園や祖師ヶ谷大蔵にいて、クルマで行き来するときには「セタドウは混むからさぁ」みたいな会話。いま思い返すと、金井から袋橋交差点~野津田車庫のほうまで「セタドウ」と呼んでいたかは曖昧なんですけれど、鶴川駅を越えたら、あれは「セタドウ」だった。...ちょっと、機会があれば道についての研究家にでも詳しく話を聞いてみたい感じ。
そして、鶴見川の袋橋付近では、こどものころハヤやオイカワを獲った記憶もあるのですが、いまの新袋橋交差点にある「綾部原トンネル」が開通したのは、2005年。あそこが十字路ではなく三叉路だったことを知る身としては、トンネルを通るたびに「ワープ」とか「加速装置」とか「タイムリープ」とかいった、古いSF用語を連想してしまいます。多摩ニュータウンがピカピカだった時代、町田からあっちにいくのは、まさに峠越え。綾部の交差点を曲がって、田んぼだらけのひなびた道をクネクネ進み、小野路を抜けて勾配のきつい山道を登りきる...すると、突然ど~んと区画整理された巨大団地が出現して、その風景の変わりようは、かなり衝撃的だったのです。なのにいまは、トンネルを抜けて都道18号をしばらく走ると、もう「多摩卸売市場前」の交差点。なんか、町田に神奈川包囲網からの抜け穴ができた、みたいな感覚もある。
さて、写真の場所に戻って、バス停のすぐそばにある陶器のお店「たぬき屋」さん。以前から「狸がいっぱいいる!」と気にはなっていて、少しまえに漬物用の甕が割れたので訪ねてみたら、国産の丈夫そうな常滑の久松カメがあったのでゲットしました。製造元が2013年に廃業したため在庫限りということでしたが、まだあるのかな? それで、「たぬき屋」から「この道」と薬師台通りが交差するあたりまでの道沿いの景観なんですが...じつは私には、ちょっと、つらい。なんというか、あまりにも過剰に黄色と赤だらけ(たまに青)で、頭がクラクラします。いやね、街道沿いの店舗はどこも派手な看板を出してたりするもので、たとえば国道16号線あたりの風景もかなりシュールなものの、しかしあっちはまだ、広い道路だからなぁ。この道幅でこんなに真っ赤っ赤&真っ黄っ黄攻撃されると、つらい。いや、別に条例で規制しろ~、みたいなことを言いたいわけではないです。しかし、商売(経済)の理屈で自由に競争すると、「野津田」という、どこかのんびりした響きを持つ土地の町並みがこんなふうになっちゃうのか、という、諦念的な愚痴ですな。