旧日本陸軍による軍都建設で誕生した相模原。
第二次大戦後、軍事関連施設は米軍基地として利用され、戦争特需をもたらす一方、市民生活やまちづくりに大きな影響を及ぼした。
戦後の復興期に米軍基地のそばで育った著者が見つめていた「路向うのアメリカ」。その記憶を一家のアルバム写真とともにたどる連載コラム。
西洋文化の到来は、江戸時代に始まり、明治に入ると神戸港や横浜港など海の玄関からというのはよく知られていますが、戦後の進駐軍(特に米国)が持ち込んだ「アメリカンカルチャー」もたくさんあります。モータリゼーションやスーパーマーケットに始まり、ジャズやポップス、ボーリングやビリヤード、コカコーラ、ハンバーガーなど、挙げれば切りがありません。その中に「四角いピザ」というのがあります。ピザは一般的にイタリアのソウルフードのイメージですが、戦後の日本にピザが広まったのは米軍の影響と言っても過言ではない一面もあるのです。
今回はそんな米軍と「四角いピザ」の話です。
ピザ自体の歴史はとても古く、ローマ時代に今のピザの原型ができました。アメリカにピザが持ち込まれたのは19世紀初頭、イタリア系の移民が比較的多いサンフランシスコやシカゴ、ニューヨーク、フィラデルフィアなどでしたが、移民以外にはあまり食べられていなかったようです。それが第二次世界大戦で、イタリアに駐留した米軍兵士の間で本場のピザが食べられるようになり、次第に米軍の中に浸透し、アメリカ全土に広がっていきました。ピザという食べ物はレシピがシンプルという理由から、いつしか艦船の中でも作られるようになり、スペースの限られた船内(特に潜水艦など)のキッチンでは、パンを焼くための四角いプレートを使っていたため、独特の四角いピザが誕生したようです。戦後、進駐軍として日本国内の各所に駐留した米軍施設内でも四角いピザは焼かれていたようです。
日本でいちばん最初のピザは、第二次大戦中、神戸港に入港したイタリア海軍カテリア号の船員が焼いたという説がありますが、これはイタリア風の丸いピザでした。そんな戦後の1950年代、日本国内ではいまだ「ピザ」なる食べ物が認知されていない時代、ピザはおろか、レストランどころか外食すらままならない時代に横浜(本牧)や都内(六本木)、相模原などの基地周辺の街角では、米兵やその家族向けに洋食レストランが出現し、その中に後に老舗となる米軍ゆかりの「四角いピザ」を出すレストランもありました。
基地の街、相模大野にも1952年、横浜、横須賀の米軍基地と相模原補給廠や横田基地を結ぶ兵站(軍事物資を運ぶ総称の意)の要であった国道16号線の谷口踏切の交差点の角(当時は16号線と小田急線は平面交通のため、谷口陸橋ではなく踏切でした)に、緑色の小屋根に薄いグリーンの板壁がアーリーアメリカンの雰囲気をかもし出している一軒家の「イタリアンビレッジ」というレストランが開業しました。開業当初は外国人が経営していましたが、1960年に日本人が引き継ぎ、相模大野の老舗レストラン「イタリアンガーデン」は誕生しました。
ピザは生地をこねたら丸いボール状にして、それを板の上で平たく伸ばして徐々に薄く(本場では指を立てて皿回しの様にピザ生地を廻したりも・・・)していくわけですが、今でも相模大野のイタリアンガーデンでは、米軍由来の四角いプレートを使い60年前と変わらぬ製法で、当時の米兵が食べていたと思わしき伝統の四角いピザを焼き続けています。
知る人ぞ知る「四角いピザ」にはそんな歴史が刻まれています。
現在では、ピザといえば、丸いのが一般的ですが(四角いピザを見つけるほうが難しいですね)、戦後の日本にピザが浸透し出したころは丸いピザ以外に「四角いピザ」が普通にあり、ある意味日本国内でのピザの「走り」であったとも言えます。そういった意味で「路向こうのアメリカ」が日本にもたらしたものの一つ、「四角いピザ」でありますが、この「四角いピザ」はアメリカ以外ではあまり見掛けないようで、しかも今現在ではアメリカ国内でも丸いイタリアンピッツァが浸透したため、米軍由来の四角いピザは丸いピッツァと同居状態のようです。(ピザの本場イタリアのシシリアにはスフィンチョーネという四角いピザもありますね)
戦後、路向こうのアメリカが運んできた米軍仕様の「四角いピザ」、70年代に入りアメリカのファストフードとして大型のピザハウスチェーン店による再来日後は、軍発祥の四角いピザでなく、一般的な丸いピザが浸透していき現在に至るわけですが、現在ではそれら「四角いピザ」を扱っていた老舗レストランも数少なくなりました。一般的にピザは丸いモノという認識ですが、今では貴重な存在になったかも知れない米軍発祥の「四角いピザ」。偶には基地の街ならではの、進駐軍の名残ともいえる「四角いピザ」を食べながら、その歴史や由来、当時の「路向こうのアメリカ」に思いを馳せてみるなんていうのも如何なものでしょうか。
イタリアンガーデンは、建物の老朽化などにより当初の場所から200mほど駅寄りに移動し、営業しています。
・・・続く