町田在住のライター&編集者の多田洋一さんが、「町田のちょっと懐かしい」を訪れ、今はなき店や出来事に思いをはせる、ゆるノスタルジー系連載。
こんにちは、多田洋一です。本に関わる仕事をしていて、町田市在住。いやぁ、今回の緊急事態宣言。中学生のときの第一次オイルショック、昭和天皇が亡くなったときの〝自粛〟、東日本大震災と、短くもない人生での体験を思い返しても、こんな「非日常」は初めてだったかな。当コラムも前回(3月30日)の「尾根緑道で桜が~」とレポートして以来になります。それで、宣言下のGW、5月2日は忌野清志郎の命日(没後11年)でした。いまではセブンイレブンの惣菜のCMで流れる曲を歌ってる人、というのが一番わかりやすい説明なのかも(正確には、ZERRYという変名で結成したザ・タイマーズでの曲)。...RCサクセションのアルバム「COVERS」(1989年)発売にまつわる騒動やタイマーズでの活動は、あのころもしSNSがあったらえらいことだったろうな、と(興味のあるかたは〝タイマーズ〟〝放送事故〟でググってみればいいかも)。「ずっと夢を見て~♪」って歌声との振り幅の大きさが、この人の魅力です。
町田駅近辺の商業施設も週明けには順次営業再開とのこと、よかったよかった。こんな時期なので無理をせず、今回は自宅からの徒歩圏内をあらためて散策してみました。写真の場所は神奈中バスの「ストアー前」バス停付近。あれっ!? ストアーないじゃん...いや、現在「パン工房ほろほろ」のあるところに、かつては「共栄ストアー」があったのです。もう記憶が定かでないけれど、少なくとも私が小学生のころ、この界隈にはスーパーマーケットの類いが1件しかなく、バス停の名称も「共栄ストアー前」だったような。のちに南大谷寄りに「三徳本町田店」が華々しくオープンして「共栄ストアー」はなくなり、我が家からの買い物の距離が倍近く長くなった、と。ついでに申せば、赤い信号機の横の建物は、かつては酒屋さん(名前失念)。それがローソンになってちょっとした買い物ならできたのに、それもなくなっちゃって拙宅徒歩圏内って、わりと陸の孤島気味。
信号の奥に見える「正太楼」は、共栄ストアーがまだあるころにできた中華料理店。大きめの皮にたっぷり詰まった餡の餃子。ニンニクの効いた、パワフルなのが好みの人なら病みつきになるかも。若いころの岩城滉一みたいな店主は健在で、ときどき店の前で休憩しているのをお見かけするけれど、リーゼントヘアが貫禄を漂わせてます。あっ、そうだ、むかしは店のまえあたりに屋台の焼き鳥がよくきてたんだよなぁ。1本30円とか、とにかく安かった。ただ、ご近所では「あれは鶏肉じゃないかも(カエル!?)」との噂があったりして...真相はわからないまま、いつのころからか屋台をみかけなくなりました。
私がこの近くに住み始めたのは1970年代の始め。このあたり、菅原神社方面と玉川学園方面の谷間みたいなとこでして(少し先が南大谷=「南」の「大」きな「谷」)、本町田団地以外は両サイドから緑が圧迫してくる感じでした。いやぁ、いまはすっかり宅地化されて、むかしは酒屋と「正太楼」のあいだの坂道を登ると藪と畑、その先に石場医院があって、風邪を引いたときには松本清張に似た先生(たんに白髪のオールバックだったから、という子ども的発想)が聴診器をあてたり注射を打ってくれたりしました。今回ひさびさにこの坂を登って風景を確認、ほんと、家が増えたなぁ。
ステイホームで悶々としているあいだに、嬉しいニュースも届きました。♯010で紹介した、ジョルナにあった「ノイズ」が5月11日に祝・新装開店! 場所は町田駅北口から栄通りへと向かう途中にあるビルの1階。今回紹介した「ストアー前」へは、お店のすぐそばにある神奈中バス22番のりばから本町田団地循環をご利用ください。