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ここにはたしか!
♯021 蟻地獄幼稚園、大和横丁、げんかや

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町田在住のライター&編集者の多田洋一さんが、「町田のちょっと懐かしい」を訪れ、今はなき店や出来事に思いをはせる、ゆるノスタルジー系連載。

♯021 蟻地獄幼稚園、大和横丁、げんかや

こんにちは、多田洋一です。本に関わる仕事をしていて、町田市在住。さて、1983年12月にリリースした「クリスマス・イブ」で、山下達郎のそれまでのサマー・リゾートなイメージは一変しました。以後、毎年寒くなると、どこからともなくこの曲は聞こえてくる。あれはたしか、夏にジャンボ機が墜落した年の師走。当時勤めていた会社では、新事業のための休日出勤が続いていました。その週末も、私は朝から某量販店に赴き、愛川欽也(イメージキャラクター)の似顔絵が腹に描かれたトレーナーを着て「奥さん、おトクですよ~!」みたいな仕事。それで、日暮れまでに何度かこの曲が流れてきまして、なんか、やるせなさMAXに達してしまったんですよね...スイマセン、年末に上司に「辞めます」と伝えました。そんなわけで、私にとっての「クリスマス・イブ」は永遠に、サラリーマンからドロップアウトしたきっかけの曲。

いまや町田でも屈指の人気スポットとなった、町田仲見世通り。でもその隣の大和横丁は、いまでもちょっと昔風&スリリングなまま!? 最近は絹の道中央通りの守屋精肉店側から曲がると、いきなり黄色い<蟻地獄幼稚園>という看板が目に入って「どんな園児が通うんだよ!」とツッコミたくなるが、そこはスルーするのが大人でしょう(飲み屋さんみたいですねw)。長く続いてそうなお寿司屋さん、カッコいい古着屋さん、焼肉の「げんかや」は何度か入ったことがあって、若い人ががっつり食べている様子は気持ちがいいものです。でっ、このあたりをうろつくたびに思い出すのは、自分が生まれて初めて焼肉を食べたときのこと。

たぶん、いまはヴィレッジヴァンガードの隣の自転車置き場あたりに、その焼肉屋はあったはず。雑居ビルの2階か、3階──いや、記憶が消滅しかけてるので、もしかするともう一本隣の〝名前のない通り〟かもしれなくて、だとするとカレーの<THE SPICE>のビルかもしれないんだけれども(ここの2階の<KENT>はむかしは1階だったんじゃ? 高校生のころの溜まり場)──とにかく小学5年のとき、父親に連れられて、焼肉初体験。暗く細い階段を昇ると水槽が置いてあり、雷魚かな? 見慣れない淡水魚がジロリ、と。カタコトの日本語でコンロのある狭い席に案内されて、最初に出されたのがユッケ(たぶん1500円くらい)。細いキュウリと松の実と生卵で和えた生肉、このままかよ、と躊躇したけれど、口に入れてびっくり。こんなうまいもの食ったことがなかったぞ! その後に出てきたカルビとかミノとかも悶絶級においしくて...いまググったらエバラ食品工業が「焼肉のたれ」を発売するかしないか、ってころの話です(店名が思い出せないんですが、どなたかご存知でしたら、ぜひ教えてください!)。

そして、これも大和横丁だったか〝名前のない通り〟だったか記憶が曖昧ですが、このあたりに一時(たぶん1978年)、ノーパン喫茶なるものがありました。T君に誘われて一度入店しました。たしかコーヒー1杯1000円でした(30分限定)。注文するとトップレスでミニスカートの女子が運んできて、床が鏡なので視線を落とすと、一瞬なにか履いてる(履いてるよ!)ものが見えましたが、すぐに去っていきました。客はまばらで、遠くにいるその女子はときどき退屈そうにBGMのディスコ音楽に合わせて身体を揺らし、それを凝視するのも申し訳なくて、T君と雑談するうちに時間オーバーでした...なんだったんだ、あれは。

その20年後、世間では大蔵省接待汚職事件(ノーパンしゃぶしゃぶ事件)が起こり、三塚大臣と日銀総裁が引責辞任しました。あっ、今年、財務省(旧大蔵省)でセクハラ事件があって、事務次官は辞任したけれど大臣は続投してますね...って、なんで最後に急に政治話をしているかというと、ドロップアウトした福田淳一さんって同い年なもんで、湘南のサーファーだったという彼も、きっと自分と同じようにサザンとかユーミンとか達郎とか聞いてたんだろうな~、とか思うと、ちょっとせつなかったりするのでした。

【プロフィール】
多田洋一(ただ・よういち)
フリーランスのライター&編集者。雑誌での取材や映画/テレビドラマのノベライズ等。2010年より年1回、個人主宰の文芸創作誌「ウィッチンケア」を発行。第9号は2018年4月1日に発行!
http://witchenkare.blogspot.com/