町田在住のライター&編集者の多田洋一さんが、「町田のちょっと懐かしい」を訪れ、今はなき店や出来事に思いをはせる、ゆるノスタルジー系連載。
こんにちは、多田洋一です。本に関わる仕事をしていて、町田市在住。さて、前回ちょっと触れたY.M.O.なんですが、私はこのグループと、SONYの初代ウォークマンの記憶が結びついています。大学に入った1979年の最初の夏休み前、サークルの溜まり場だった部屋に3年生のリッチなO先輩が小さなヘッドホンをつけて入ってきて、チラチラ見てたら貸してくれたんですよ。そのときかかっていたのがY.M.O.(当時はこんな略称ではなく、イエローマジック、と呼んでた)の「Yellow Magic (Tong Poo)」で、ちょっと信じられないくらいいい音だった。でっ、たぶんO先輩にいろいろ訊いたと思うんですよ。そしたら「細野晴臣が坂本龍一なんかと始めたグループで、紀伊国屋ホールのライヴではピンクレディーの『ウォンテッド』も演った」みたいなことを教えてくれた。...いろいろ衝撃でしたが、その1年後くらいには町田の暴走族のクルマからも「ライディーン」が爆音でかかってて、世の中が変わるときは劇的に変わるもんだと。そうだ、私が初めて手に入れたウォークマンは「Ⅱ」で、POPビル裏の町田質店にて中古品を...それでも1万5000円くらいはした記憶が(すぐ壊れちゃったw)。
写真の場所は、住所だと町田市本町田の3200番台で、藤の台団地の1-16棟前あたりにある商店街。ここ、神奈中バス「藤の台団地」行きの終点にある藤の台ショッピングセンター(団地商店街)の一部、ということになっているのかどうか、よくわからないんですが、私的には鎌倉街道の本町田~ひなた村の裏のほうから坂を登っていったところ、という別場所の雰囲気なんですよね。でっ、藤の台団地が入居開始したのは1970年、とのこと。私、小学校の4年生ですね。すぐに自転車で行ってみたらでかくて、しかも坂がきつくて、という思い出が。でも、バスターミナルのあるメインの団地商店街が活気に満ちていたことは覚えています。それに比べるとこの一画、むかしから小ぢんまりしたたたずまい、という印象だった。なんでこのへんをウロウロしていたのか覚えてないんだが、このへんがちょっとした商業地域だった、ということは覚えていました。
じつは私、いまもここに買い物にいきます。赤い店舗用テントのブーランジェリ・サカモト...ググってみたら、1973年に「サカモトベーカリー」としてできたパン屋さんなんですね。食パンやバケットもおいしいけど、私は惣菜パンの魅力に惹かれていくこと多し。とくに焼きそばパンと、小さなレモンスライスを添えた白身魚フライパンを、ついつい。そして、写真の右に見えるオレンジ色の看板は、むかしながらの手造りとうふ美濃屋さん。豆腐屋って、むかしは町のあちこちにあったけれど、いまは町のあちこちにあるコンビニエンスストアにかならず豆腐が置いてある時代だからなぁ。しかもむかしは豆腐屋と言えば早起き、が相場だったけれど、コンビニエンスストアは早起きどころか不眠不休...って、なにボヤいてるんだか。とにかく、美濃屋さんでは「冬はさぞかし手が冷たいでしょう」と思いつつ、手で掬い取ってくれるおいしい豆腐をいただいています。油揚げもおいしい!
サカモトさんと美濃屋さんだけでなく、近くにはいわゆる「お肉屋さんのコロッケ」も扱っている鈴木ミート、青果店(「こしじ」さん?)、そして看板だけが残っている東京水産というのは...かつては鮮魚店だったのかも。他にも理髪店のトリコロールなサインポールがまわっていたり、クリーニング店の湯気が流れてきたり、と、ちょっと前のありふれた風景がいまもよい感じに健在なので、みなさん頑張って坂を登ってみましょう。あっ、それで、坂の途中で突然車道を巨大猫が走ってきたりして肝を冷やすかもしれませんが、それはどうやら開進幼稚園の送迎バス(「ネコバス」)らしく...じつは拙宅のそばも経路になっているみたいで、ときどき遭遇するのですが、あれはかわいいのだろうか? 園児や父兄にも人気なのだろうか?? 個人的にはいきなり出没されると恐怖なんですが、子どもやパパママが喜んでいるのでしたら、スミマセン、怖がって。