特集

ここにはたしか!
♯032 山崎団地、渡辺自転車店、ぐりーんハウス

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町田在住のライター&編集者の多田洋一さんが、「町田のちょっと懐かしい」を訪れ、今はなき店や出来事に思いをはせる、ゆるノスタルジー系連載。

♯032 山崎団地、渡辺自転車店、ぐりーんハウス

こんにちは、多田洋一です。本に関わる仕事をしていて、町田市在住。前回に引き続きY.M.O.なんですが、1980年になるかならないころには中学生でも「テクノポリス」のイントロのTOKIO! ってところを歌えるくらいに流行っていまして──この曲、向田邦子脚本のNHKドラマ「阿修羅のごとく」でも効果的に使われてたなぁ、レインボーの「バビロンの城門」とともに──ついにライヴアルバムの「パブリック・プレッシャー/公的抑圧」はオリコンチャート1位。当時は店内にプロジェクターを設置する喫茶店(っていうかカフェバー!?)みたいなのも増えてきて、そこでは同アルバムの元音源であるY.M.O.の海外ツアー映像がよく流れていました。LPではレコード会社のオトナの事情で渡辺香津美のギターの音が全部消されていたんですが、映像版ではAria proⅡのRS-850をバリバリに弾きまくる雄姿がばっちり。なので「消された」ことを踏まえて「パブリック・プレッシャー/公的抑圧」を聞き直すと、歓声が不自然に盛り上がっている箇所に気づいて、ああ、ここが香津美さんの超絶ソロパートだったんだろうな、とわかったりもしました。

写真の場所は、木曽団地名店街のほうから、団地いちょう通りに架かった歩道橋で山崎団地センター側に渡って、山崎団地名店街に入った、スーパー「三徳」まえの広場。私がいま住んでいるのは本町田団地の近くなんですが、じつは親が代替地を行政からあてがわれて引っ越す(1968年)以前の実家は、ここまで子どもの足でも歩いて遊びにこられるところにあったんです。...もうちょっと細かく説明すると、木曽団地側にある渡辺自転車店(まだなかったかも)のすぐ近く。...なにしろ当時の私、小3ですんで記憶も断片的ですが、率直に申しますと、すごいド田舎だったことしか。お隣の農家さんに顔を出したらおじさんが庭でマムシを網で焼いて食べてて仰天したとか、そのおじさんにもらったニワトリを飼い始めて餌をあげようとしたら物置の餌袋でアオダイショウがとぐろを巻いてたとか、第三小学校に通う途中でイタチが横切ったとか。

その旧実家が立ち退きになった理由、さっき84歳の母親に訊ねたんですが、どうも木曽団地が拡張されるさいの道路だか貯水池だかの場所に当たっちゃった、とかなんとか。ググってみたら木曽団地の入居開始が1962年と1967年のようなので、これに伴うなんらかの事情だったと推測してますが...しかしいまは亡き高度経済成長期サラリーマンの父親、よく毎日(当時は週休1日)、赤坂見附にあった会社まで通っていたもんだ、と。しかも千代田線開通前だから新宿で丸ノ内線に乗り換えで。まだ新百合ヶ丘駅もなかった時代、紺とダイダイの小田急線の町田~「多摩川の向こう側」間はほんと、長かった(夜は「真っ暗闇を突っ走れ」って感じ)。

それで、山崎団地名店街。いまは口座のある銀行を使うさいに訪ねて「懐かしい」とプチ散策&感慨にふけるくらいで申し訳ないんですが、自分ちの周囲を「ド田舎」と感じていたガキの私にとって、この商店街は文化的な魅力ある場所だったなぁ。少年マガジンを発売日に買いにいったのは、たぶん「けやき書房」。親が中華を食べに連れていってくれたのは、たぶん「万寿園」(10円玉を入れると「おみくじ」みたいなのが出てくる灰皿があったような...)。そして、昭和のお正月はどこの店も三が日休業だけど、お年玉をもらった子ども(どこの団地もガキンチョだらけ)のためのオモチャ屋さんだけは開いていて、それでポケットに分不相応なオカネを入れてわくわく向かったのが、たぶん、初代の「ぐりーんハウス」だったはず、と。つい最近、ネットのニュースで〝玩具店「ぐりーんハウス」が、2019年9月28日に閉店〟と知りました。二代目店はプチ散策で、わぁ、駄菓子を売ってる! と楽しく覗かせてもらっただけでしたが、このニュースで古い正月の記憶が繋がりました。ほんとうにお疲れ様でした!

【プロフィール】
多田洋一(ただ・よういち)
フリーランスのライター&編集者。雑誌での取材や映画/テレビドラマのノベライズ等。2010年より年1回、個人主宰の文芸創作誌「ウィッチンケア」を発行。第10号は2019年4月1日に発行!
http://witchenkare.blogspot.com/
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