地域密着の番組を作る。
ここから始まった僕の番組つくり。
まず、なにをしようか。
地域に根付いたものがいい。それでいて、メディアでは滅多に取り上げられないもの。
僕の番組の「武器」になるもの。
そこで僕が目を付けたのは。
「校歌」
でした。
何十年も地域の大部分の人に何世代も歌い継がれ、地域を表す歌詞がある。
これほど「地域の歌」はないでしょう。
細分化されている小学校の校歌がいい。中学、高校となると校歌を歌う機会も減っていきますので、意外と覚えてないかも。「地域の中の学校」ということで防犯や交流もからめることができるし。
相模原市内の小学校は公立私立あわせて73校。
まあ、数は多いけど、何とかなるだろう。
それが甘い考えでした。
まずは一校一校電話して、企画の内容を説明するところから難航しました。
当時は安全管理から「開かれた学校」から「閉ざされた学校」へ変わる過渡期。
学校側もかなり警戒して、電話口で断られることもしばしば。
誠意をこめて懇願して
学校から「いいですよ」と答えを得てもそれからが大変。
学校「校歌を録音したものがあります。」
それがCDであることは、ほとんどなく、カセットテープがほとんど。しかも、音質が悪く、チャイムの音が入っているものもありました。そこは編集とかでなんとかやりくり。
学校「校歌を録音したものはないです」
この答えからがこの企画の見せ場。
「それでは、僕が行って録音をします」。
音楽の授業をお借りして、児童に校歌を歌ってもらい録音します。
学校によってはわざわざ体育館に集まってもらい全校児童で歌ってもらうこともありました。
しかし、学校も授業のスケジュールが詰まっていて、なかなか時間がとれないことがほとんど。
その場合はどうするか。
必ず校歌を歌う時があります。
それは、「朝の集会」です。
小学校の朝の集会って、朝7時30分くらいからと本当に大人にとっては「朝早い」時間です。朝6時に学校へ行き準備します。当然、眠いです。
夏は蒸し風呂の体育館です。冬は極寒の体育館です。
自分も小学生の時こうだったのかな、と考えると子供って強いんですね。
「朝の集会」でも収録できない場合は、
「卒業式」「入学式」です。
あらかじめ卒業式の式次第をもらって、校歌を歌う時間を計算して、同じ日に3つの小学校の卒業式をはしごしたこともありました。
番組が始まって2年くらいのメイン企画はこの校歌収録でした。
簡単にできるだろうとやってはみたものの。今でも、今まで僕が経験した企画の中でもっともつらく、大変で、先の見えな企画でした。
2年間で相模原市内小学校73校のうち70校を収録しました。
この時の取材経験、出会った人、録音した校歌。
それは僕にとって大きな財産。
録音した校歌は学校へも渡しますので、たまに別の取材で学校に行くと僕が録音した校歌が流れてくるときもあります。
あの時校歌を録音した小学生は、大学生になっています。
「昔、校歌を録音してもらったことがあります」。
と知らない大学生に言われると、「ああ、あの時の子がこんな大人に・・・」と目頭が熱くなりますね。
そういえば。
ここまで書いて、思い出したことがあります。
僕にとってはこの企画で一番印象深い「出会い」です。
ある日の事です。
その日も取材先に電車で移動してました。
確か、車窓から見える丹沢の山々がまばらに色づき始めていたような気がするので夏から秋に移り変わる季節です。
僕は人がいない車両に深々と座り、手帳を見ながら、なかなか消化できないスケジュールにいらだっていました。
「あ!ラジオの人!」
小さな子供の甲高い声。ラジオの人、という表現はもしかして僕かもしれないのできょろきょろ周りを見渡すと、いつのまにか向かいの席に小学生が。
黄色い帽子をかぶるその小学生の隣には、男性、多分小学生のおじいちゃん、が笑顔を絶やさず座り、僕に小さく挨拶。
「こんにちは!」
小学生は顔の半分を口にして元気よく挨拶。
あ。この間の校歌を録音した学校の子、とすぐ分かりました。
だって、一番前で大声で校歌を歌っていたから、印象が強くて。
「お出かけかい?」
と僕が手帳を閉じて聞くと
「うん!お母さんのところにいくの!」
狭い通路を挟んでいるだけなのに、小学生の声は僕の背中まで突き抜けるような大きな声。
お母さんのところ?
僕は小学生とその隣で相変わらず笑顔を絶やさない男性の顔を交互に見ました。
「実はですね」
男性が話してくれました
「この子の母親は今長いこと入院をしてまして。そのお見舞いに行くところなんですよ」
よくよく聞けば、結構遠いところの病院。それは寂しいでしょう。
「子供は意外と慣れれば平気そうなんですが、母親が寂しがってね。毎週末こうやって見舞いにいくんですよ」
小学生は退屈そうに足をぶらぶらしながら外を見ています。
「ああ。それで」と男性が続けます。
「以前、校歌を放送したでしょ、この子が歌う校歌。それをテープに録音して母親に渡したら、毎日のように病室で聞いていて。テープが伸びるくらい。この子の声なんて大勢のうちのひとりだからわかるわけないのに、自分の子供の声がわかるんでしょうな、母親は」
男性はごそごそとポケットに手を入れ、新品のカセットテープを出しました。そこには<校歌>というラベルが。
「ダビングして新しいのをまた持っていくんですよ」
やがて、電車は僕の目的地へ。
小学生は大きく手を振り、男性は笑顔で小さく頭を下げる。
電車のドアが閉まる。
車窓越しに小学生が何かを叫ぶ。
「またね」だと思うけど。
母親が病室の窓辺にラジカセを置き
流れてくる子供の歌声を聴いている。
そこに飛び込んでくるあの小学生。
笑顔で抱きしめる母親。
そんな光景が想像できる。
この企画をやってよかった。
この時、思いました。
誰かの思い出の中に、僕の番組がある。
こんなに嬉しいことはない。
僕の知らないところで、番組が誰かと誰かをつないでいる。
こんなに楽しいことはない。
僕にとっては、一年間のうちの何百分の一の取材だけど
あの小学生にとっては、一生のうちで唯一の取材になるかもしれない。
そして、その取材が多くの人に、僕の思いもよらない出来事を起こしているのかもしれない。
だから
ひとつひとつの取材を
ひとつひとつの出会いを
大切にしようと思う出会いでした
相模原市内の小学校の校歌73校放送。
実は、今月最後の一校を録音します。
2年前から「最後の一校」だったんですが
なかなかタイミングがあわず、企画開始から11年かけてやっと「完全制覇」です。
73校分の1校。11年分の1日。
でも、それは決して欠ける事ないこと。
73校全部録音できたら、
ノンストップで放送で流してみようかな。
73の学校を思い出しつつ
11の年月を振り返りつつ
大学生になってであろうあの小学生を感じつつ