特集

路向うのアメリカ
#1 「基地の街」誕生

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旧日本陸軍による軍都建設で誕生した相模原。
第二次大戦後、軍事関連施設は米軍基地として利用され、戦争特需をもたらす一方、市民生活やまちづくりに大きな影響を及ぼした。
戦後の復興期に米軍基地のそばで育った著者が見つめていた「路向うのアメリカ」。その記憶を一家のアルバム写真とともにたどる連載コラム。

#1 「基地の街」誕生

時は昭和30年代。戦後の連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の統治が終焉し、朝鮮戦争(1950~1953年)による経済効果で戦後ニッポンがみるみる力を付け、戦後の復興が順調に本軌道に乗ったころ、僕らの世代は生れたのでありますが……

僕らが幼少期に育った相模の地はまさに周囲は米軍基地だらけ。当時、神奈川県は沖縄(1972年の返還前)に次いで日本で2番目に米軍施設の多い県でした。なかでも相模原市内には、区分け方にもよりますが、7カ所ほどの米軍施設がありました。

轍(わだち)の所どころに雑草が生えた、いまだほとんどの道路が未舗装の状態の相模原。バス通りを挟んで道の向こう側には、緑の芝生に覆われた広々とした敷地に白い大きな建物が建ち並ぶ駐留米軍の施設や住宅などがありました。相南の米軍相模原住宅は今でも健在です。そのころは、住宅エリアは基地とは異なり、境界線は塀らしい塀などではなく、薔薇線(鉄条網などに使われる有刺鉄線のこと)に植樹といった簡易なスタイルだったので、体の小さい子どもなどは物理的にはいとも簡単にこちら側と向う側を行き来したりが可能なほどでした。

そもそも、なぜこの地域に米軍施設が多かったのか――。そこには歴史的な深い事情があります。相模原が「軍都」であったからです。この地域は大正から昭和にかけて軍事目的で開拓された地、大日本帝国陸軍が広大な平地林や原野を開拓し軍の教育機関、陸軍兵廠や練兵所を集結させた場所でもありました。

時代はさらに遡ります。日本は1931年の満州事変を契機に戦時体制下に入っていくことになります。国土防衛上も、近代的な軍事施設の拡充とそれに伴う近代的な都市計画が重要であり、1930年代後半に始まった工業の全国への分散化政策により、軍事工場や施設が地方にも多数建設されることになりました。その流れに沿うように、関東でも海の拠点は横須賀地域、空の拠点は立川地域、陸の拠点は相模原地域に集約的に軍事施設が建設されたのです。

当時の相模原都市建設区画整理事業の開拓施行面積は1594ヘクタールにも及び、振興工業都市開発事業のなかでは全国で最大級の規模だったらしいのです。

そうした状況下で、1937年9月、東京の市ヶ谷から陸軍士官学校の本科(現在のキャンプ座間)が高座郡(現、座間市)北部に移転してきたのを皮切りに、以降、相模陸軍造兵廠(現、相模補給廠跡)、陸軍兵器学校(現、相模補給廠跡地)、陸軍工科学校、電信第一連隊、陸軍通信学校(現、相模女子大学地域一帯)、相模原陸軍病院(後の米軍病院・現、ロビーシティー一帯)、臨時東京第三陸軍病院(現、相模原国立病院)、陸軍機甲整備学校(後のキャンプ淵野辺・現、淵野辺公園地域)など9つもの施設が目白押しに小田急線や横浜線沿線に展開することになった、とのことです。

こうなるともう正真正銘の軍都ですね。

このあたりの郷土史については、小学生のころ、社会科の授業などでいろいろな逸話を交えながら聞かされたりしたものです。

なんとな~く記憶に残っている逸話には……

小田急線の「相武台前」という駅名は、もともとは「士官学校前」だったが、昭和天皇が士官学校を訪れた際、一説は相模の国は古くは日本武尊の東征に由縁があることから、もう一説は相模の国と武蔵の国の中間という意味合いから「相武」と命名した。

現在の東京都道・神奈川県道51号町田厚木線は、原町田駅から座間にできた大日本帝国陸軍士官学校を視察に訪れた昭和天皇の来所のために道路整備したことから「行幸道路」と呼ばれるようになった。

「星ヶ丘」という地名の多くは、空の「星」がよく見えるからなどといった理由で命名されていることが多いだろうが、相模原の「星ヶ丘」は旧陸軍関係の人が多く住んでいたことから、つまり「陸軍の軍章の☆星」からきている。

松任谷由美の歌「哀しみのルート16」にも出てくる国道16号線は、もともとは軍用道路として建設されたため、戦車が走行しても大丈夫なように当時の最新のコンクリート100トン舗装であり、また有事の際は緊急の滑走路にも転用できるように設計されている。ちなみに滑走路の信号灯が250メートル(m)ごとのため、その名残で、昔からある交差点は250m間隔でロータリーがあった。

なんか都市伝説チックですよね……笑。

【プロフィール】
鈴木 聡 (すずき さとし)
アソビニスト、フリーライター
1957年生れ、相模原市在住。
幼少期より相模原で育つ・・・日本大学芸術学部映画学科中退。
映画・音楽・クルマ・アウトドアが大好きであり、学生時代より映画・番組製作会社・TV局のアシスタントとして現場を経験するも就職出来ず、音楽出版社を経て自動車メーカーに就職する。マーケティング、特装車、コンサル技術営業、モーターショウ、各種プロジェクトと長年自動車業界で仕事するが2017年定年退職。サラリーマンをする傍ら、大好きなアウトドア、クルマの世界に興じ各種の「遊び」をテーマにしたイベントを企画する。アウトドア・アナリスト&アドバイザー、イベントコーディネーター、コラムニスト。
遊びの様に仕事をし、仕事の様に遊ぶ・・・。
座右の銘:「貧乏暇なし生涯短し人生沢山笑うが勝ち・・!!」
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