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ここにはたしか!
♯004 けろよんはうす、東京ららばい、オダキューOX

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町田在住のライター&編集者の多田洋一さんが、「町田のちょっと懐かしい」を訪れ、今はなき店や出来事に思いをはせる、ゆるノスタルジー系連載。

♯004 けろよんはうす、東京ららばい、オダキューOX

こんにちは、多田洋一です。本に関わる仕事をしていて、町田市在住。サザンオールスターズが紅白歌合戦で「三波春夫でございます」っていうパフォーマンスした頃は大学生でした。あっ、最近ネットで「悪魔のKISS」というドラマを観たら、主題歌は「エロティカ・セブン」でした。

今回は小田急線「町田」駅のホームから第一踏切を撮ってみました。長年の習慣で、電車に乗るときは踏切寄りの階段を昇ってしまいます。バスセンター側にはエスカレーターがあるのに、なぜかいつも階段。...潜在意識のどこかに「こっち側の方が新宿に早く着く」という、ヘンな刷り込みがあるのかも?

私は幼稚園児のとき町田に移り住んできたのですが、その後すぐ親の転勤で仙台へ。小学校4年でまた、町田に戻りました。当時はまだ「新原町田」駅で、ロマンスカーは「あしがら」が停車。小田急百貨店はなくて、東口(カリヨン広場)はロータリーになっていて、低層のオダキューOXがあった記憶が残っています。バニラとチョコレートの2色ソフトクリームが流行ってて、親にねだってたような。タクシー乗り場、立ち食いのソバ屋と10円寿司も、駅を出てすぐのところにあったなぁ。いまドトールコーヒーのある場所が馬肉の柿島屋さんで、夕方には気持ちよさそうに酔っぱらったおじさんたちで賑わっていました。前回の東京オリンピック数年後か、遠い目...。

踏切に面した「シャトー21ビル」は、たぶん私が高校生の頃に建ったのだと思います。いまでも1階に金物屋さんがあって、束子やお香を売ってて...それで、いまネットをざっと検索しても出てこないんだけど、同ビルの地下に、かつて町田唯一のディスコがあって、1回だけしか行ったことないんだけど名前はいまでも覚えています。けろよんはうす。アラベスクの「ハロー・ミスター・モンキー」がかかったような、うっすらとした記憶が。ツッパリ(「ヤンキー」という言葉が一般的になる前の、そういう傾向の人の呼称)と竹の子族が妙にブレンドされたような煌びやかな若者が、いい感じに身体を揺らしていました。

東口の地下通路(いまはスタバと成城石井の間あたり)ではその頃、芸能人がときどき歌っていました。私が通りがかったら中原理恵が「東京ららばい」を熱唱してたことあったな。あとシュガーが「ウエディング・ベル」を演奏してたり。その数年後だけど、町田モディはまだ大丸百貨店で、屋上のラジオ公開放送でレベッカを見た記憶も...ってこんな話になると収拾が付きませんね、しかし「けろよんはうす」はいったい何年くらい営業していたんだろう。どなたか、踊っていた方いらっしゃいますか?

それから「シャトー21ビル」の3階には数年前まで「琥珀」というパブがありました。町田の少年サッカー黎明期に活躍した人たちの集いの場だったんですが、なくなっちゃって残念。たしか「SSS(スリーエス)」という名称はサッカーのSと第三小学校のSと、そのお店のオーナーの兄弟の苗字のSが由来(いや、「サッカー」じゃなくて発足時の三小の四年「三組」のSかも)だったような記憶も...あっ、このへんの話は、またいつか機会があれば、あらためまして!

【プロフィール】
多田洋一(ただ・よういち)
フリーランスのライター&編集者。雑誌での取材や映画/テレビドラマのノベライズ等。2010年より年1回、個人主宰の文芸創作誌「ウィッチンケア」を発行。
http://witchenkare.blogspot.com/
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