市立小学校の教諭が指導する少年サッカー選抜チーム「FC町田」のトップチームとして1989年に創設された「FC町田ゼルビア」がついに最高峰リーグに上り詰めた。
J1昇格を記念して、相模原町田経済新聞が2007年から取材した約400本のゼルビア関連の記事から「Road to J1」のエピソードを紹介する。
2007年の全国地域リーグ決勝大会でJFL昇格を逃したゼルビアは翌年度の新体制発表会見で初めて「Jリーグ昇格」を目標に掲げた。
この年、川添孝一GM、戸塚哲也監督が就任。山口貴之、蒲原達也、勝又慶典、山腰泰博らが加入した。
「2011年のJリーグ昇格を目指して、今年は大きな飛躍の年となる」と口火を切ったのはアスレチッククラブ町田・守屋実理事長。
「FC町田ゼルビア」新体制発表-新加入選手、新ユニホームも紹介(2008.02.15)
ゼルビア2011年宣言の実現に向けて、運営母体の経営を強化するためにゼルビアを株式会社化。住宅総合リフォーム会社「イーグル建創」の下川浩之さんが社長に就任した。
FC町田ゼルビアの運営母体が「株式会社化」-2011年Jリーグ昇格目指す(2008.04.28)
2度目の挑戦となった全国地域リーグ決勝戦。壮行会では、TUBEのギタリストで町田市出身の春畑道哉さんの祝電、2年前からゼルビアのファンで試合も観戦しているというタレントの風見しんごさんとお笑いタレントのスマイリーキクチさんの応援トーク。俳優の谷原章介さんがサプライズ登場。大会では矢崎バレンテを相手に「後半44分からの逆転劇」を演じ、6戦全勝でJFLへの自動昇格を決めた。
「全勝します」FC町田ゼルビア戸塚監督-地域リーグ決勝大会壮行会で(2008.11.13)
「後半44分からの逆転劇」-FC町田ゼルビア、地域リーグ最終ラウンド進出(2008.11.25)
FC町田ゼルビア、JFL昇格決定-全国地域リーグ決勝大会「全勝優勝」(2008.12.01)
JFL昇格を機にマスコットキャラクターを作成。ゼルビアのエンブレムとロゴも手がけた玉川学園在住のデザイナー・里見喜久雄さんが手掛けたゼルビアの頭文字「Z」をモチーフにした架空の動物など4種類のなかから、町田市の鳥・カワセミをモチーフにしたゼルビーに決定した。
町田ゼルビア、チームキャラクター人気投票-Z型の「ゆるキャラ」も候補に(2009.01.26)
町田市は市立陸上競技場の改修を進めていたが、Jリーグは「基準未達」の判断を下した。JFL2年目のゼルビアは、Jリーグ昇格基準のうち最終順位と観客動員数を満たしていたが、スタジアム基準を満たすことができずに2011年のJ昇格を断念した。この結果を受けて町田市は抜本的な改修計画を作成、サポーターらは署名活動で5万人の賛同を集めた。
町田市は改修工事期間中にもJ2リーグを開催可能にするため、メディアセンターや観客席を備えた仮設棟を陸上トラック上に建設した。
FC町田ゼルビアのホームスタジアム改修へ 2009年度内の完成目指す(2008.12.18)
FC町田ゼルビア、「Jスタジアム2010年度基準」未達で昇格ならず(2010.09.07)
町田市、陸上競技場の整備計画案作成-「J2仕様スタジアム」整備費試算も(2011.02.18)
「町田ゼルビアをJリーグへ」請願書を市議会に提出-5万人の署名集める(2011.03.07)
町田市、仮設棟の建設で「来年のJ2地元開催」後押し-市議会に説明(2011.10.25)
練習場の確保はゼルビアの長年の課題だった。2010年に鶴見川クリーンセンター内の多目的広場に練習場所をつくる計画が持ち上がったが、周辺住民らの同意が得られずに断念。翌年、FC町田ゼルビアの普及・育成やスクールなどを行うNPO法人アスレチッククラブ町田が小野路公園に最新鋭の人工芝への改修やナイター設備を備えた活動拠点を確保。市内外の練習場所を転々としていたゼルビアの練習拠点としても活用された。
町田市、「地域スポーツの交流拠点」整備へ-市民団体と協定(2010.05.27)
町田の小野路公園に「地域スポーツ」の活動拠点-ゼルビアの練習も(2011.06.08)
町田出身の元Jリーガー星大輔、酒井良らの活躍でJFL最終戦で3位を確定。J基準スタジアムが未完成の状態でのJリーグ入会申請は、行政と市民の支持がJリーグ臨時理事会で「異例」により認められた。
町田ゼルビア、J2昇格へ-カマタマーレ讃岐に勝利し、今季3位で終戦(2011.12.11)
町田ゼルビア、悲願のJ2昇格-地域密着でJ理事会が「異例の措置」(2011.12.12)
名将アルディレスを監督に招聘したゼルビア。戸田和幸、庄司悦大、平本一樹、鈴木孝司らが加わった初のJ2シーズンは最下位。シーズン終了式典で、ゼルビアの勝又慶典は泣き崩れ、言葉を発することができなかった。翌シーズンは秋田豊さんが監督に就任するも、シーズン前半3位で折り返した時点で解任。楠瀬直木さんが代行したが、1年でのJ2復帰は果たせなかった。SC相模原との初の「武相決戦」は引き分けに終わった。
町田ゼルビア、J2最下位で終戦-湘南に完敗(2012.11.11)
FC町田ゼルビア、「J2復帰」果たせず-新設「J3参戦」が濃厚に(2013.11.04)
4シーズンぶりに相馬直樹監督が復帰したJ3初年度は3位。2014シーズンは2位で、大分との入れ替え戦を制してJ2復帰を果たした。
FC町田ゼルビア、J2昇格ならず-「勝ち点差1」3位で終戦(2014.11.23)
FC町田ゼルビア、歓喜のJ2再昇格 地元でサポーターが大声援(2015.12.06)
J2リーグ2度目のシーズンは鈴木孝司や中島裕希の活躍で首位にも立ち、7位で終戦。J2残留を果たした。
FC町田ゼルビア、ついに「J2首位」 無敗記録を8に更新(2016.04.23)
町田ゼルビア、松本山雅との激戦制す J2ホーム最終戦で大金星(2016.11.12)
2017シーズン、町田市は町田市立陸上競技場をJ1リーグ仕様に改修するための基本設計に着手。チームは16位とJ2に留まることができたが、平均入場者数は4056人と低迷した。2018シーズンはサイバーエージェントが経営権を取得、J1早期昇格を目標に練習場の整備などに投資するとした。チームは最終戦で「逆転優勝」の可能性も残して4位と躍進した。しかし、2019年は最終18位と低迷。相馬直樹監督が勇退し、2020年シーズンはランコポポヴィッチ監督が9年ぶりに復帰した。
町田市立陸上競技場「J1仕様」改修に向け設計着手へ(2017.06.16)
FC町田ゼルビア、J1早期昇格に道筋 サイバーエージェントが経営権取得(2018.10.01)
「あと1点」町田ゼルビア、J2優勝逃す 4位に躍進(2018.11.17)
藤田社長は、東京というブランド力を生かした東京全域でのマーケティング展開を図るため、チーム発祥の「FC町田」に「トウキョウ」を加えた新名称でのリブランディング案を示した。しかし、サポーターらの反対により、撤回した。
「ゼルビアからトウキョウ」で紛糾 藤田オーナー、サポーターと再度話し合いへ(2019.10.14)
ついに周辺住民の理解を得ることに成功し、鶴見川クリーンセンター内の練習場整備に目処が立つ。さらにJ1仕様のスタジアムが完成した。2021シーズンは5位フィニッシュ。オフシーズンに念願のJ1仕様の練習場が完成する。
町田市、鶴見川クリーンセンターの土地をゼルビアに無償貸付(2020.02.21)
町田ゼルビア、首位・新潟に勝利 琉球に続き「無敗チーム」撃破 「J1仕様スタジアム」完成祝う(2021.05.16)
FC町田ゼルビア、「悲願」クラブハウス完成 練習見学も(2022.02.12)
万難を排して臨んだ2022シーズンは、3年プロジェクトで目標にしていたJ1昇格を達成できなかった。最終戦セレモニーで大友健寿社長は「J1強豪クラブなど様々なライバルがいる中で集客面でも結果が出ていない。もはや変化や進化ではなく、変容していく覚悟がないと選手に勝たせることはできない」と語る。
FC町田ゼルビア、J1昇格プロジェクト未達 大友社長「変容する覚悟が必要」(2022.10.20)
2022シーズンをもって大友健寿代表取締役社長、下川浩之取締役会長、唐井直ゼネラルマネジャー、ポポヴィッチ監督が退任。代表取締役社長兼CEOに就任した藤田晋クラブオーナーは、原靖フットボールダイレクターと黒田剛監督を迎え、「1年でJ2優勝、J1昇格を果たす」と明言。選手の若返りを図るとともに、エリキ、ミッチェル・デュークなどを補強。首位を独走し、観客動員も増やした。
シーズン終盤はエリキの負傷、各国代表選手選出などで主力が離脱、勝ち点を伸ばしにくくなるも、今季で引退するFC町田出身の太田宏介ら、これまで出場機会が少なかった選手がピッチ上でもチームに貢献し、連敗ゼロを維持している。
町田ゼルビア・藤田晋新社長「町田をかっこいい街に」 就任会見で(2022.12.21)
FC町田ゼルビア新監督に黒田剛さん 「来季J1昇格」へ体制強化(2022.12.08)
FC町田ゼルビア2023シーズン新体制を発表 目標は「J2優勝・J1昇格」(2023.01.15)
首位の町田ゼルビア、2位ジュビロ磐田に勝利 「天空の城」最多入場記録も(2023.08.13)
町田ゼルビア、秋田に競り勝ち J1昇格まで「1勝」(2023.10.14)
FC町田ゼルビアがJ2リーグ第39節のロアッソ熊本戦を3対0で制し、J1昇格を決めた。
FC町田ゼルビア、J1昇格 「少年サッカーの街」チーム創設34年で達成(2023.10.22)
FC町田ゼルビアがJ2リーグ第40節のツエーゲン金沢戦で1対0の勝利。クラブ創設34年でJ2優勝&J1昇格を成し遂げ、ホームでサポーターらと喜びを分かち合った。